ストレートな想いは詩的に美しいものとなるよりも、ベタベタなものとなる。
「我が胸の 燃ゆる思いにくらぶれば 煙は薄し 桜島山」
(平野国臣)
「平野国臣」は、福岡藩出身の幕末の思想家です。
西郷隆盛が錦江湾で入水したとき、懸命に救命したことで有名です。
歌人としても有名ですが、上の和歌はどっちかといえば詩的というよりも、アツイ想いをストレートに表現したものですな。
詩的にどうか、といわれれば、雅でもないし、ひねってもない。
どっちかといえば、べたべたな感じが・・・。
しかし、人間というものはこういう言葉を吐く時、たぶん言葉をストレートに出すようになるんでしょうね。
僕も最近よく鹿児島に行きます。
その時には、かならず桜島を眺めます。
何カ所か桜島のビューポイントがあるのですが、その中でも東郷平八郎の像の前などでは、やはり平野国臣のような雄大な気持ちになります。
でも、噴火後の桜島は結構なもんですよ。
それと比べて自分の心境を表現した平野国臣はやはりたいしたもんだと想うのです。
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