武士と農民というカテゴリーですが、もう一度整理してみます。
・織田信長登場まで = 農民と武士は同じだった
・織田信長〜江戸時代末期 = 武士と農民がはっきり区別された
ということを前回述べました。
それでは明治維新以降はどうか、と言えば、なんとこれがもう一度逆転するのです。
明治維新以降は、極論ですが、「農民=兵士」になったのです。
こう書くと意外に思われるかもしれませんが、徴兵制という言葉がそれをあらわしています。
この徴兵制度においては、農村が兵隊の主な供給源だった、と言われています。
でも、長男を兵隊にとったのでは農業が成り立たないので、次男三男を徴兵したみたいです。
明治大正時代は、国を富ますものは兵隊と農業でした。欧米が植民地主義をもって日本の近くまで押し寄せてきていたわけですから、これは当時の情勢を考えれば当然のことと思います。
殖産工業も当然、国力を上げるために必要ですが、まず国の存続が確立されてからとされたのでしょう。
地方交付税が全国に交付されるようになったのは、このことは無関係ではないと思われます。
そして、戦後〜現在ですが、兵隊の必要性が次第に小さくなり、今度はそれに変わって「建設業」が農業と一緒になりました。
ここまで整理します。
・国を富ますものは、戦前は兵士と農業であった。だから、国は地方交付税で農村を保護。
・戦後は、兵士が建設業に変わったため、建設業と農業が合体した。農村を保護するということのもう一つの理由として、全国津々浦々まで道路を整備する、という大命題が発生した。それを達成するために、地方交付税がそのまま生かされた。
また長くなったので、続きます。
お~~~。
返信削除またまた、すごい内容ですね。
本を読んでる感じです。
読みごたえがあります。
農業と建設業・・・続きが楽しみです。
それにしても面白い話です。原点回帰だったとは・・・。
返信削除それから自然薯美味かったっス。
ちなみに・・・、
「今からたった150年くらい前に遡れば日本人のほとんどは肥びしゃくを担いで野良仕事をしていたのに、現在は背広を着てサラリーマンとして違和感もなく普通に働いている」
・・・確かそんな内容だったと思うけど、司馬遼太郎の「人間というもの」の中に書いてあった。確かに不思議だ・・・。
横浜は昨年「開港150周年」だったが、開港当時年前には、横に長い砂浜「横浜村」で、人口は101人だったと言われている。現在は3,672,789 人 (21年12月1日現在)と日本一人口の多い市町村になった。これもバタフライ・エフェクトだよね。
やはり英次君の頭の中はすごく楽しいです。
アカネさま。
返信削除歴史の話はおもしろいですよ〜。アカネ様にほめていただいて光栄です。
gpsさま。
原点回帰なんですよね。
このあたりは、源平交代説みたいなとこがあって面白いっす。
横浜も今は大都市ですもんね。将来は、津山も大都市になっているかもしれません(爆