後継する、とは創業の正反対にあるような言葉で、会社を親や先代から受け継ぐ、という「ただそれだけのこと」です。
これは楽なのかどうなのかわからなかった。
たぶん、創業経営者の方は、僕らを見て「楽に生きてるんじゃねぇ~の?」と思われるでしょう。
でも、そうではない、という反発心を昔から持っていた。
継ぐということは、楽なことではない。
僕の名前、「英次」の字の「次」。
これは、次男、ということではなく、「継ぐ」ということからきている、とはよく言われてきたこと。
まあ、そうなるんだろうな、と思いながら生きてきたということもまあ、事実ではあります。
しかし、その一方で捨てないとならないこともあったと思う。
それは多くの後継者に共通した感覚だと思う。
それはさておき、この継ぐ、という行為。
これは、僕は「時間を短縮する行為」だと自ら定義していた。
少なくとも今年までは。
だって、それまで築いていただいた信用や、基盤、スタッフがそのままある状態で経営を行うことができる。
しかし、最近考えが変わりました。
甘かった。
これは、時短にはならない、ということがよくわかりました。
「会社を良くするには、創業と同じだけ時間がかかるかもしれない」、ということなのです。
要するに、それまで築いてきた成功体験があるとしましょう。(ていうか存続してきたのだから必ずある)
それに引きずられて動けなくなる場合もある。
当然、それまでそれで成功してきたスタッフは、そこから離れ得ない、という現象が起こる。
これに焦燥を感じて、急にことを推し進めようとすると必ず反発が起こり離反、ということも十分ありうるのです。
だから、改革には時間がかかっても、思いを持ち続け、時勢の変化を裏のほうで技術を磨き続け、ブレーンを作っておくことが肝要なのかもしれない。
そういう意味では、「後継は時短にならない。それがイヤなら最初から創業せよ」
と、もしこれを読んでいる後継者の20台くらいの人へは、そういいたいのです。
しかし、艱難辛苦を乗り越えて、後継者となることを志した人には、「先人に感謝をしつつ、そこから離れることを早いうちに図ってほしい」、と思うのです。
温故知新。
とはそういうことかもしれないのです。
「会社を良くするには、創業と同じだけ時間がかかるかもしれない」、ということなのです。
要するに、それまで築いてきた成功体験があるとしましょう。(ていうか存続してきたのだから必ずある)
それに引きずられて動けなくなる場合もある。
当然、それまでそれで成功してきたスタッフは、そこから離れ得ない、という現象が起こる。
これに焦燥を感じて、急にことを推し進めようとすると必ず反発が起こり離反、ということも十分ありうるのです。
だから、改革には時間がかかっても、思いを持ち続け、時勢の変化を裏のほうで技術を磨き続け、ブレーンを作っておくことが肝要なのかもしれない。
そういう意味では、「後継は時短にならない。それがイヤなら最初から創業せよ」
と、もしこれを読んでいる後継者の20台くらいの人へは、そういいたいのです。
しかし、艱難辛苦を乗り越えて、後継者となることを志した人には、「先人に感謝をしつつ、そこから離れることを早いうちに図ってほしい」、と思うのです。
温故知新。
とはそういうことかもしれないのです。
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