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岡山県津山市の建設業(山陽ロード工業)で、日々仕事をしております。
コンクリート補修工事・鋼構造物補修工事・区画線工事・ビゼンソイル販売・農作物(自然薯)の販売
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2010年5月23日日曜日

津山の町作りでやりたいこと

倉吉に行ってきました。
うちの現場の視察をかねてなのですが、昼の時間に倉吉の白壁地区を見に行ってきました。

10年くらい前にこの地区には行ったことがあるのですが、噂どおり、「結構変革している!」というイメージを持ちました。


レトロ。こういう、ちょっとしたものが洒落ている町ってよいと思います。

白壁の町並み。保存度は高いと思います。しかし、津山も負けてません。



僕は、「変革」というのは、物理的に変わった、ということだけを指していうのではなく、「意識が変わった」「視点が変わった」ということを指しても云うべきであると思います。
お金が儲かるかどうかは、その後についてくると思うのです。

視点が変わる、ということは、「古いもの=良くないもの」だというイメージではなく古いものこそ、感性を刺激されて、良いものである、と活かしていく発想に変わる、ということです。

行政が何もしてくれんから、とか、文句をいうだけでは何も始まらない。だから、一歩でも二歩でも自分で先駆けて何かをやってみるしかないと思うのです。でも、それには、仲間作りがいると思う。


その日の夕方から。

津山ホルモンうどんを全国のB級グルメのスターダムに押し上げた鈴木養蜂場の鈴木代表、リトファンロールの寄木さん、多湖酒造さん、アンジェの山本社長たちと飲む。

この人は、津山のことやスタッフのことをすごく大事に考えて動いている人だな~ということを改めて実感。しかも、行動力が生半可じゃぁない。

そろそろ、僕も動こう。

まずは、忍者と、籠かきと、武士だな。これならお金もかからない。→すでに倉吉はやっています。

しかし、「何のために」やるのか、ということを明確にしておかないと単発の変な人で終わってしまうので、そこは慎重にやらなければ。

みなさんと協議して決めたいと思うのです。

2010年2月26日金曜日

津山城の壮大な石垣が「見える化!」


津山城は、「全国三大平山城を選ぶとしたら、その筆頭」と言われるように、壮大な石垣で知られています。

この壮大な石垣は市内の様々な箇所から見ることができるのですが、残念ながら、天守閣をはじめ「城の建物」は残ってないので(一部、備中櫓を復元)のため、特に何にもない北面、東側からの景観は、今までは、うっそうとした木のしげる山だなぁと思っておられた方もたくさんいらっしゃると思います。

しかし、津山市の粋な計らいで、このたび、「雑木」に関しては伐採が進み、様変わりしています。



僕が昔から見ている姿と違い、なんか、天空の城を見ているようです。すてきです。
あと一ヶ月少々で、桜の開花時期になるので、この時期が一番、石垣が見やすいのです。

津山の自慢景観ポイントがまた増えそうです。


2009年8月12日水曜日

津山城について

復元された備中櫓。(一眼レフにて撮影)

我が津山市には、観光資源がない、というのが津山市民の声ですが、いやいやそんなことはありません。「津山城」という素晴らしい文化資産があるではありませんか。

津山城は、「森忠政(もりただまさ」というマイナーな戦国武将が建てたために、有名ではなく、春の桜まつりの時期以外には、訪れる人もまばらです。
さらに、津山市民が、「津山にあるくらい(!)だから、大したものじゃないんだろう」的な思いがあり、他の土地の人や旅行者にそのすごさを知らしめていないのです。

考えてみれば、これはかなりもったいない話です。

三大平山城、と言えば、皆さんはどのお城をイメージされますか?

熊本城・姫路城・それから???

三番目が出てこないのではありませんか。

実は、この三番目には津山城が当てはまります。
ていうか、他の二城を抑え、堂々の一位を獲得してもよいくらいなのです!
確かに、津山城は明治維新になってからすべての建物を取り壊され、現状では石垣しか残っていません。(備中櫓のみ、平成17年に復元された)

しかし、往時は櫓の数は60にものぼり(名古屋城25、江戸城34、熊本城57、姫路城61)全国の城の中でもトップクラスだったのは間違いありません。
その櫓や建造物が、あの狭い鶴山の全山に所狭しと凝縮されて林立している姿は、復元されたコンピュータグラフィックを見ると圧倒されてしまいます。