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岡山県津山市の建設業(山陽ロード工業)で、日々仕事をしております。
コンクリート補修工事・鋼構造物補修工事・区画線工事・ビゼンソイル販売・農作物(自然薯)の販売

2010年1月10日日曜日

農業と建設業

前もこのブログで少し触れましたが、当社は建設業ですが、会社の土地で自然薯を栽培しています。

実は、前は建設業で農業って、どうなん???と思っていたんです。うちは、コア事業である「インフラの整備・メンテナンス」を中心に展開していこうと思っていたので。

しかし、それを捨てるというわけではないんです。邪魔をするわけでもなく、同時に補完関係にすることができる、と思っています。


というのも、この国の建設業はそもそも、半農・半建設業で成り立ってきたと思うのです。


建設業が半農・半建設業になった理由ですが、列記してみると、

1,農作業の暇な時(農閑期)が、建設業が忙しくなる年度末の1~3月に重なるということと
2,農政の事情(いわゆる外圧)により、農業だけでは食べられなくなった
3,戦後のモータリゼーションにより、日本全国津々浦々にまで建設需要が拡大した

以上の理由によります。

しかし、建設業の部分が忙しくなりすぎて一人歩きし、農業を喰ってしまった(もしくは、農業では食べられないということの代償として建設業を与えた)ため、より建設業への特化が進んだ、と言えます。

いわば、現代版「兵農分離」なわけです。

これは、戦国時代、農民と武士は明確な区別がなかったものを、織田信長が戦闘の専門家である「武士」と農業のみを生業とする「農民」に分けてしまった、ということと似ていて面白いのです。

上杉謙信と武田信玄の戦いですが、あれは完全に農繁期には休戦して、農閑期に戦いをする、というスタイルでした。だから、収穫時期になれば両軍とも兵を引き上げざるを得なかった。
これでは、稲刈りの時に敵が攻めてきたら、やられてしまいますし、「あともうちょっと!」というところで「また来年、続きをしましょう」、と諦めざるを得ないことがあったりしたらしいですね。

だから、織田信長は「兵農分離」をやった。専門・分業化のほうが効率よく天下統一できることに気づいたんですね。時短、ですな。

これは余分な話でしたが、建設業と農業との関係ともそれと同じ。

ともかくも、建設業が忙しい時代が長く続いた。そして、農地が荒廃していったのです。

そのスタイルが長く続いたため、我々は建設業と農業は別物、と思いがちですが、実は同じものだと思っていいと思います。

ちょっと長くなるので、続きはまた明日・・・

2 件のコメント:

  1. コメントまた消えた・・。
    もう!!

    えと、続きを楽しみにしています。

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  2. なんで消えるんかな??せっかくだったのに。

    続き書きまっす。

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